つぶやいてみる

先日、コメント欄にて高校からの友人と軽い男色コントをしていたところ、
「イギリスで同性愛者の婚姻が合法」というニュースが…。
なんかね、タイミングがそれなりだったもんだから、ちょっと報告しちゃいまいしたよ。
 
でね、ちょっと社会的な話をしましょうか?

誤解を恐れずに言いますよ。
 
まず、私に同性愛の嗜好はございません。
ただ、だからといって、同性愛を否定するわけではなく、
人が誰かを好きになるのは、個人の自由であり…。
 
てな、文章を書こうかと思っていたら、
ある人の話を思い出しました。
 
その人の言うには、
「人が『同性愛についてどう思う』と尋ねられたときの回答」に、
「嫌悪感を感じる」や、「理解できない」などの回答に混ざって、
「私は同性愛者ではないが…」という文面で始まる「肯定」の回答があるのだというのです。
現に、僕がそうだったのですがね。
 
んで、ところが、ですよ。
その回答というのは、考え方によっては、
全然「肯定」の回答とは言えないというのであるというのです。
 
つまり、冒頭で「私は同性愛者ではないが…」という断りを入れることで、
「私は同性愛に理解がある。ただ、同性愛者とは思われたくない」
という意図を含んでいるんだというのです。
 
僕自身、ハッとさせられ、
というよりも、その話してくれた人自身も、
人から指摘されて気がついたそうなんです。
 
「僕は貴方たちのことを悪く思わないよ。差別しないよ。応援するよ〜♪」
って、気持ちは、それが本物なのかを確かめるのは、自分自身でも難しく、
ましてや、それを追求しようとなれば、多大な時間がかかるのだろうなぁと。
 
僕らはなんらかの思いについては追及をしていたとしても、
それ以外には全く無頓着のまま生きてしまっているのかなぁなどと思ってしまいましたよ。
 
 
ときにはこんなことも書きますよ。
てか、こんなのが出来上がったことに自分自身驚きですがね。